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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨブ記(聖書の読み方のコツ)

ヨブ記 神学

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どちらも優れた聖書学者であるゴードン・D・フィーとダグラス・スチュワートは共著書『聖書を正しく読むために(総論)ー聖書解釈学入門』の中で、ヨブ記、詩篇、箴言などの「知恵文学」というジャンルに属する書が、主に以下の三つの仕方で誤って解釈されてきたことを指摘しています。

 

聖書を正しく読むために[総論]

聖書を正しく読むために[総論]

  • 作者: ゴードン・D・フィー,ダグラス・スチュワート
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2014/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

   

(1)人々はしばしば、これらの書を部分的にしか読まず、こうしてそれらが全体的メッセージを持っていることを見逃してしまいます。文脈から取り出された知恵の教えの断片は深遠のように聞こえ、実用的に見える場合があり、その結果しばしば誤った適用をもたらします。(『聖書を正しく読むために(総論)ー聖書解釈学入門』より)

 

知恵文学に限らず、前後の文脈を無視して読むなら、聖書を誤って理解してしまうことにつながります。私たちは今、ヨブ記を読んでいますが、一言を切り取って理解しようとするのではなく、章全体、その章を含む会話全体、ヨブ記全体の文脈を踏まえることが重要です。

 

ですから、ヨブ記を読んでいるこの時期のディボーションは、一日毎に無理して「今日の教え」をキャッチしようとしなくて構いません。「まずは読む」ということに徹してくださって結構です。

 

 

 

(2)人々は、ヘブル人の知恵の文体、文学的形態とともに、その用語と範疇を誤解することがあります。このことは、誤用の原因になることもありえます。(『聖書を正しく読むために(総論)ー聖書解釈学入門』より)

 

同じ用語を、私たちの時代、地域、文化とは異なった意味で用いている場合も少なくありません。フィー博士とスチュワート博士は、この本の中で「愚かな者」という用語を挙げて説明しています。箴言14章には「愚かな者の前を離れ去れ」とありますが、この愚かな者という用語をある人たちは「教養のない人」「教育レベルの低い人」と理解するかもしれません。あるいは「知的障害者」「精神的な病を持つ人」といったふうに極端な理解をする人々もいるかもしれません。

 

しかし、ヘブル語聖書でいう「愚かな者」とは「不信心な者」「神を神としない者」のことです。上のような理解をするなら、とんでもない適用が出てきてしまいかねません。

 

このような誤りを防ぐためには、複数の訳を参照するのが良いでしょう「YouVersion」という聖書アプリでは、日本語(口語訳、リビングバイブル)が無料で読めます。英語訳も多数入っています。実用聖書注解などの、簡単な注解書も役立ちます。

 

www.bible.com

 

ヨブ記3章2-10節をリビングバイブルの訳で読むと以下の通りです。リビングバイブルは大胆な意訳なので、詳細な聖書研究には向きませんが、大まかな内容をどんどん把握していくには便利です。

 

「ああ、わしはなぜ生まれたのか! こんなことなら、いっそ生まれないほうがよかった! 誕生日なんか、なくなってしまえっ! 神にさえ見捨てられ、永遠の暗やみに包まれてしまえっ!そうだ、暗やみがその日を引き取り、黒雲がおおい隠せ。 その日がカレンダーから消され、ほかの月日とともに指折り数えられないようになれ。その夜を吹きさらしにし、喜びを追い出せ。のろいの名人よ、その日をのろってくれ。 その夜は、星も出るな。どんなに光を待ちあぐねても夜は明けず、朝がくるな。こんな災難に会うため、わざわざ生まれて来たわしのために。

 

これが新改訳だとこうです。原語に基づき、できるだけ正確を期して訳されているのですが難解です。

 

ヨブは声を出して言った。私の生まれた日は滅びうせよ。「男の子が胎に宿った」と言ったその夜も。その日はやみになれ。神もその日を顧みるな。光もその上を照らすな。やみと暗黒がこれを取り戻し、雲がこの上にとどまれ。昼を暗くするものもそれをおびやかせ。その夜は、暗やみがこれを奪い取るように。これを年の日のうちで喜ばせるな。月の数のうちにも入れるな。ああ、その夜は、はらむことのないように。その夜には喜びの声も起こらないように。日をのろう者、レビヤタンを呼び起こせる者がこれをのろうように。その夜明けの星は暗くなれ。光を待ち望んでも、それはなく、暁のまぶたのあくのを見ることがないように。それは、私の母の胎の戸が閉じられず、私の目から苦しみが隠されなかったからだ。

 

両方を照らし合わせることで意味の理解が進みます。

 

 

 

(3)特にヨブ記のような知恵の講話では、人々はしばしば、これは一体何の書なのか理解できなくなり、こうした議論にもついていけなくなります。それゆえ、人生の間違った理解としてこの偉大な著者が意図したものを、聖書的真理として引用するのです。(『聖書を正しく読むために(総論)ー聖書解釈学入門』より)

 

「聖書」と一口に言っても、その中には「歴史的な記録」「神学的な解説」「信仰者の祈り、賛美、思索などを記した詩文」などが含まれています。今読んでいる箇所がどんなジャンルの文学形態で記された御言葉なのかを踏まえて読まなければなりません。

 

ですから、ヨブ記に登場するヨブの友人たちの言葉から直接、我々の信ずべき「教理」を取り出すことはできません。彼らは、友人として信仰者として懸命に考え、言葉を発していますが、間違った神観や人間観も含まれています。正しい部分もあります。

 

「では、聖書には誤りがあるのではないか?」という疑問も出てくるかもしれません。しかし、聖書の中に、神様の意図に反して誤って記述されてしまった箇所は一つもないと私たちは信じます。このような箇所において神様は意図的に、人間の誤った主張を記録し、それも踏まえた上で私たちに真理を示そうとしておられるのです。

 

補足として、非常に分かりやすい例を挙げておきましょう。

 

愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。(詩篇14:1)

 

この箇所には「神はいない」と記されています。「神はいない」という部分は真理ですか、誤りですか? もちろん、誤りです。 では、この箇所は誤りを含んでいることになってしまうのでしょうか? そうではありません。この箇所は、愚か者の心の中にある誤った主張を“引用”して示した上で、その愚か者の悲惨な状態を教えているのです。

 

大学の教授が授業の中で、あえて誤った学説を紹介した上でその問題点を明らかにし、それに続いて正しい学説を説明したとします。誤った学説を紹介する部分を切り取って、「この教授の授業には誤りが含まれている(だから信頼できない)」と主張するのは愚かなことです。

 

 

リビングバイブル 新約聖書・英和対照

リビングバイブル 新約聖書・英和対照

 

 

聖書を正しく読むために[総論]

聖書を正しく読むために[総論]

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新実用聖書注解

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