道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

ヨハネの黙示録12章

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黙示録は難解な書物だと考えられがちですが、読み方をマスターすれば必ずしもそうではありません。しかし確かに、幾つかの理由で慣れるまでは読みにくい書物であることも事実です。この書物は旧約聖書を背景にしているおり、様々な象徴が出てくる、必ずしも時系列で書かれているわけではない…などがその理由です。

 

 

ひとりの女?

 

この12章もそのような要素が凝縮されている箇所なので確かに読みにくいのですが、正しい方法で黙示録に慣れていくなら徐々に理解は深まってきます*1

 

また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。(12:1)

 

これを読んで次の箇所を思い出す方も多いのではないでしょうか。

 

ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。(創世記37:9)

 

ヨセフが見た夢の中で、太陽、月、星は、ヤコブ(別名イスラエル)を父とする家族を表していました。そして、黙示録12章の天のしるし(幻)に登場する「ひとりの女」は、太陽、月、星を身にまとっており、イスラエル民族を指していると考えられます。この女は、みごもり、やがて痛みをもって子どもを産みます。みごもっている子は「女の子孫」であるメシヤを指しています。

 

赤い竜?

 

また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。(12:3)

 

さて今度はまた別のしるし(幻)ですが、赤い竜が出てきます。これは、「この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇」(9節)とある通り、サタンです。彼は「告発者」(10節)とも呼ばれます。

 

七つの頭、十本の角については後に学びますが、このサタンは天の星の三分の一を引き寄せて地上に投げたとあります(4節)。そして、子を産もうとする女の前に立ちはだかり、子を食い尽くそうとした。これは、元々天使であったサタンが天使の軍勢の三分の一を率いて堕落し、地上で働くようになったことを指していると考えられています。

 

彼(ら)は、イスラエルの歴史の中で、この民族が途絶えてメシヤ誕生が阻止されるようにと必死で働き、主イエスがお生まれになった後はより一層このお方を「食い尽くそう」として激しく襲いかかりました。それでも御子はお生まれになり、十字架と葬りと復活を経て天の神のみもとへと上げられました(5節)。

 

どんなにサタンが妨害しようとも、神の救いのご計画は阻止されることがありません。あなたの人生には、まるでサタンが勝利しているかのように見える状況が起こるかもしれません。しかし、それは最終的な状態ではありません。神が勝利者です。この偉大で真実な神をより深く知り、このお方をますます信頼して歩みましょう。

 

ここまでヨハネは、イスラエルの歴史全てを見渡すような大きな幻を見せられています。今度は、患難時代のイスラエルにクローズアップします。

 

女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。(12:6)

 

患難時代の後半(三年間=1260日)、イスラエルはヨルダン川の向こう側の荒野に避難することになります。これは主イエスも預言しておられることです。

 

それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。(マタイ24:15-16)

 

さて、ちょっと忙しいのですが、再びカメラはズームアウトして視野が広くなります。7-12節は、天における戦いと賛美についての記述です。これは、これまで見てきた全ての事柄の霊的なバックグラウンドにある出来事といっても良いでしょう。天ではサタンの軍勢と大天使ミカエルの軍勢の戦いがあり、行き場を失ったサタンと軍勢が地に落ちます。これは4節にある出来事とは別に終末時代に起こる事柄であると考えられます。

 

ヨブ記を見ると、堕落したサタンは天の神の前と地上とを行き来していますが、この天の戦いによって完全に天での居場所を失い、地上での働きは激しいものとなります。

 

告発は終わる!

 

この事は、天においては大きな喜びをもたらします。サタンはそれまで、天においても聖徒たちを訴えていたからです。サタンは告発者、訴える者です。私たちが罪を犯すとき、また、自分自身の足りなさを覚えるとき、サタンは私たちに忍び寄って「お前は罪深い存在だ。神はお前に失望している」と囁きます。

 

しかし、私たちには「小羊の血」(11節)、つまり十字架で流された主イエスの血があります。この十字架への信頼を告白することが「あかしのことば」(11節)になります。私たちは次のように告白し続ける必要があります。

 

この方(主イエス)にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。(エペソ1:7)

 

罪責感に苛まれている人が少なくありませんが、しかし、あなたを責め立て告発するその声はやがて完全に止みます。今も既に私たちは「私はイエス様の血潮によって完全に赦された!」と宣言することができるのです。

 

サタンによるイスラエル追跡と迫害

 

またまたカメラはイスラエルをクローズアップします。地上に投げ落とされた竜、サタンはイスラエルを追いかけます(13節)が、イスラエルは患難時代の後半(一時と二時と半時=三年半)、ヨルダン川対岸のボツラ(現在のペトラ遺跡)に避難します。サタンは、大水のような大軍を送ってイスラエルを攻撃しますが、難攻不落の岩の要塞の中でイスラエルは助けられ、守られます。サタンはそれでも諦めず、イスラエルへの大迫害が起こってきます。

 

 


Jworship 3 - 喜びの声上げて(큰 기쁨의 함성을, Raise the Voice of Joy) Bilingual Ver

 

 

 

*1:歴史的、文法的解釈を重んじることが重要。聖書が比喩/象徴として語っている部分は比喩/象徴として読むが、それ以外の部分については自分勝手に比喩的に理解しようとしないよう気をつける。以下のブログは、聖書解釈、終末論等について有益な論考、情報、まとめを掲載しており、神学的学びを深めようとする人々にはとても参考になる。

 

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