ヨハネは、十四万四千人の人々が天で新しい歌を歌っている幻を見せられます。これはヨハネが、患難時代よりも先の再臨後の世界、千年王国での礼拝風景を見せられていると考えられます。彼らは「女によって汚されたことがない」「童貞」(14:4)とありますが、これは宗教的姦淫を行っていないという意味で、具体的には「獣」を礼拝していないという意味です。
彼らは獣のしるしを刻印されず、むしろ小羊キリストとその父である神の名が額に記されていました。彼れらは「初穂」(14:4)なので、患難時代の中にあっても彼らに引き続いて他にも救われる人々が少なからず起こされることが分かります。ここにも神の憐れみと恵みの深さが現れています。
どうやらヨハネはまた少し時間を遡って患難時代の中期ころの幻を見せられているようです。御使いたちは、永遠の福音を携えて悔い改めを迫ったり、反キリストの支配体制である大バビロンがまもなく倒れる*1ことを宣言したり、神の怒りによる刑罰を警告したりします。それによって悔い改める人々は仮に殉教したとしても最終的には永遠の幸いを得ます。しかし、十分すぎるほどに警告を受け、チャンスを与えられていながら主を拒むならば、ワインを作る際にぶどうが潰されるように、神の怒りの中で徹底的に押しつぶされることになります。
15章に入ると、最後の七つの災害を携えた御使いたちが現れます。「神の激しい怒りはここに窮まるのである」とありますが、身震いするような思いがします。殉教者たちが神を賛美していますが、ここで強調されているのは神の正しさ、真実さ、さばきの正当性です。
彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。「あなたのみわざは偉大であり、驚くべきものです。主よ。万物の支配者である神よ。あなたの道は正しく、真実です。もろもろの民の王よ。主よ。だれかあなたを恐れず、御名をほめたたえない者があるでしょうか。ただあなただけが、聖なる方です。すべての国々の民は来て、あなたの御前にひれ伏します。あなたの正しいさばきが、明らかにされたからです。」(15:3-4)
私たち人間は、大抵「正しくない怒り」を抱くものです。自己中心な怒り、プライドによる怒り、状況や気分によるイライラ、八つ当たり…などなど。「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1:20)とあるとおりです*2。
しかし、神の怒りは義なる怒りであり、完全に正当です。確かにその怒りは凄まじく激しいものですが、しかし、これは想像を絶する忍耐の末、それでも悔い改めない人間に対してやむを得ず注がれるものでもあります。神は「あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊か」(詩篇103:8)なお方です。
- 作者: Jr.,ジェームズ・S.ベル,スタンキャンベル,Jr.,James S. Bell,Stan Campbell,渡辺浩明
- 出版社/メーカー: 総合法令出版
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