権威はどこから?
神殿の庭を歩いておられる主イエス様に、祭司長、律法学者、長老たちが問いかけます。
「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」(11:28)
主は彼らの問いに即答せず、「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」(30節)と逆に問いかけられました。バプテスマのヨハネの働きについての評価を尋ねておられるわけですが、彼らは答えに困りました。
もし、「天(神)からの権威による働きだ」と答えると「なぜバプテスマのヨハネを信じなかったのか?」と言われるだろうし、「人からの権威による働きに過ぎない」と答えるとヨハネを支持していた多くの人々を敵に回すことになるのです。この宗教家たちは仕方なく「分かりません」と答え、主は「では、わたしも話しません」と仰って彼らの挑戦を退けられました。
当時は一般的に、名の知られたラビ(教師)からのお墨付きがなければラビとしての活動が許されませんでした。現代のキリスト教界においても、◯◯神学大学の博士号を持っているとか、いないとか、◯◯教団のナントカ委員長をしているとか、いないとか、そのような「肩書き」が権威を与えるかのように考える人々がいます。しかし、真の権威は、神ご自身にあり、神のことばにあります。私たちが真に神ご自身を恐れ、みことばに信頼を置き、それを正しく用いるとき、そこに神ご自身の権威・力が現われるのです。
パウロが、自分の弟子のひとりであったテトスに対して語ったことばを心に留めましょう。
あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。(テトス2:15)
ぶどう園のたとえ
それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。」(12:1)
この箇所については、マタイの並行記事の解説を参照してください。