前章に引き続き、ダビデが恵み深い行動をとろうとする姿が記録されています。神の恵みに満たされるとき、人は恵みの器として用いられます。しかし、彼は完璧な人物ではありませんでした。ダビデは大きな過ちへと一歩ずつ進んでいきます。
この後、アモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と考えた。(10:1-2)
前章に出て来たメフィボシェテは、あのサウルの孫とはいえ、同じイスラエル民族に属する者でした。しかし、この章でダビデは、ずっと長いこと敵対関係にあった異邦人に対して「真実を尽くそう」と考えています。新しく王になったハヌンの父親は、逃亡生活をしていた時期のダビデをなんらかの形で助けた人物だったようです。
ダビデは家来を遣わし、「お父さんがお亡くなりになったこと、お悔やみ申し上げます」と挨拶をした。しかし、ハヌン王の側近たちはこの家来たちをスパイだと見なし、彼らを信用ないように王にアドバイスをするのです。
そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。(10:4)
当時のイスラエル人男性としてのシンボル、誇りであった髭を半分にそり落とされ、お尻丸出しの恥ずかしい姿で送り返された家来たちは、どれほど屈辱的な思いをしたでしょうか。これは非常に挑発的な行為です。ダビデは怒り、アモン人を憎み、彼らとの戦争を始めます。
必要な「間」
ひとつの行動を起こす度に「主に伺って」いた頃のダビデとは違って、彼は随分と反射的な行動を取っていることが見て取れます。
何かの「刺激」があったとき、すぐに「反応」するのではなく、「刺激」と「反応」の間に「静まり」「祈り」「主に聞く」「熟考する」といった「間(ま)」がどれぐらいあるか…。それは霊の健康のバロメーターであり、成熟の物差しです。
たとえば、私たちは、誰かから不愉快なことを言われたとき、「頭に来た! 赦せない! 仕返ししてやる!」と反射的に応答してしまうこともあり得ます。しかし、そういう出来事があった時、「でも、何か私にも問題がなかっただろうか。あるいは、あの人の本当に伝えたかったことは何だったんだろうか。もう少し話し合って真意を確認してみた方が良いだろうか。」と「間」を挿入することもできるのです。嫌な目に合わされたとき、誰かについての噂話を聞いたとき、物事が予定通りに進まなかったとき、「間」をとってから次のアクションに移れるようになりたいものです。
さて、アモン人は、アラム人の傭兵を雇ってイスラエルとの戦いに備えました。連合軍との戦いは厳しいものでしたが、ダビデの将軍ヨアブはこう語ります。
「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。」(10:12)
ここでは、ダビデよりもむしろ、ヨアブの方の中に信仰的な姿を見る事ができます。厳しい状況の中、彼は反射的に「ダメだ」という結論を出すのではなく、信仰をもって主を見上げ、仲間を鼓舞するという「間」を持ったのです。
この後、ダビデは徐々に道を踏み外していきます。戦いや政治的な事柄に明け暮れる中、心身ともに疲弊し、何よりも神ご自身との交わりが途絶えてしまっていたのかも知れません。
私たちの霊的健康状態はどうでしょうか。騙されたと思って(笑)、3〜5度ほどゆっくりと大きく深呼吸をしてください。そして、次のみことばを祈り心をもってゆっくりと3度ほど繰り返して読みましょう。主が私たちの内側を診断し、ふさわしく取り扱ってくださいますように。
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:23-24)
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