第二サムエル11章
私たちの信仰のヒーローであるあのダビデがなんともおぞましい罪を犯します。聖書を読むと、神に豊かな用いられた人物たちの犯した罪、弱さ、失敗が赤裸々に記されているのが分かります。それは、聖書がどこまでも正直で真実な書であり、人間の現実の姿から目を背けない書であることを意味しています。
そして、このことは、どんなに愛すべき人であっても、尊敬すべき人物であっても、人は人でしかないという現実をも教えています。だからこそすべての人に主イエス様の十字架が必要であるし、神様の御心にかなった歩みをするためには絶えることのない恵みと憐れみを日々求めていく必要があるのです。
年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。(2サムエル11:1)
出陣の季節は、雨期が終わって気候が安定する春です。しかし、ダビデだけは戦いに出ませんでした。そして、夕暮れに寝床から起き、王宮の屋上から水浴びをする一人の女性を見つけます。彼は情欲の虜になり、人妻であった彼女を自分のものにしてしまいました。それだけではなく、この出来事により、バテ・シェバというこの女性は妊娠したのです。ダビデはそれを知り、事実をもみ消すために工作をはかり、最終的には彼女の夫ウリヤを激戦地へと送り込んで殺害するのです。彼の罪はどんどんエスカレートしていきました。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブの手紙1:15)
ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を産んだ。しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった。(11:26-27)
ダビデは平然として、未亡人となったバテ・シェバを妻にしました。この一連の出来事は、言うまでもなく「主のみこころをそこなう」行為でした。なぜ、このようなことが起こってしまったのでしょうか。「ダビデも人間(罪人)だ」と言えばそれまでですが、私たちはこの出来事からしっかりと教訓を学びたいのです。考えられる問題を箇条書きにしてみましょう。
・ダビデは、一人の妻との結婚関係を誠実に育むことを怠っていた。
・ダビデは、あまりにも長期間、戦いのストレスの中に身を置いていた。
・ダビデは、王国の繁栄という成功の中で高慢の誘惑にさらされていただろう。
・ダビデは、側近たちからも距離をとって孤独になっていた。
・ダビデは、「ちょっと待った」と言ってくれる人物を持っていなかった。
・ダビデは、神の目からはすべてが明らかであることを忘れていた。
自分は絶対に大丈夫などと思わずに「自分は状況によってはとんでもないことをやらかす可能性のある罪人だ」と謙遜に認め、いつも主の守りを祈り求めたいと思います。また、誘惑と「戦う」よりも前に、誘惑を「遠ざける」賢さを具体的に実践したいと思います。
ある結婚カウンセラーは、具体的な“不倫”に陥る前に「精神的浮気」というものがあることを指摘してします。それを避けるために10の項目が挙げられているので下に記しておきましょう。自分が既婚者である場合、また、コミュニケーションの相手が既婚者の異性である場合、特にこれらの原則を大切にしたいと思います。
精神的浮気を避けるための10のルール
1) 職場で異性と話す時には基本的に仕事のことを話す
2) 異性の同僚と二人きりで職場以外の場所で会わない
3) 相談などを持ちかけられても、グループで会う
4) 個人的会話(特に異性関係の相談など)を、
礼を失しないようにやめさせる方法を見つける
5) 会話に“意味”を持たせない(お互いにしか分からない内容を共有するなど)
6) 個人的感情を異性に分かち合わない(特に寂しさ、悲しみ)
7) 徹底的に自分に正直になる
(本当に、相手について少しも何とも思っていませんか?)
8) 儀礼的であろうとも身体的接触を避ける
9) 異性と飲み歩かない
(アルコールはその人の持つ倫理的水準を下げさせます)
10) 毎日パートナーに、あなたの愛(忠誠)を示す
- 作者: ゲーリー・L・マッキントッシュ,サミュエル・D・ライマ,松本徳子
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