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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

第一歴代誌11-12章

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全イスラエルの王となったダビデは「シオンの要害」を攻め落とします。これはエルサレムのことであり、難攻不落(正確には、難攻“難”落か…)の要塞です。ここに、ダビデの幕屋が置かれ、後には神殿が建てられます。

 

ダビデはますます大いなる者となり、万軍の主が彼とともにおられた。(9)

 

ダビデの勝利、祝福の背景には万軍の主の臨在がありました。主の臨在を求めずに成功や繁栄だけを求めるならば、私たちはその両方を失います。しかし、主の臨在を求める続けるならば、私たちは結果として主の臨在と大いなる勝利とを得ることになります。

 

彼らはその畑の真ん中に踏みとどまって、これを救い、ペリシテ人を打ち殺した。こうして、主は大勝利を収められた。(14)

 

大勝利を収めたのは「主」であると書かれています。私たちは自分自身が孤独な戦いをしていると考えますが、私たちと共に、いや、私たち以上に主ご自身が戦ってくださっていることを覚えたいと思います。

 

三人の勇士たちとダビデとは深い信頼関係で結ばれています。彼らは命じられたわけでもないのに、危険を犯して水を確保して王の元へと持ってきます。王が故郷の井戸の水を飲みたがっていると知ったからです。良きフォロワーは「言われたから仕方なくやる」ではなく、自ら率先して動きます。

 

しかし、その貴重な水をダビデは主に捧げます。私たちは「もったいない」と思うかも知れませんが、ダビデは彼らの忠誠心を自分の栄光や満足のために利用するのではなく、主に捧げたのです。主にある良きリーダーであった彼の信仰的な姿勢がこの出来事によく現れています。健康な組織にも、不健康で支配的な組織にも「忠誠心」があります。しかし、そこに「自発性」があるかどうか、その忠誠心が「最終的にどこに捧げられているか」が分かれ目になるのです。

 

ダビデは、主が彼の元に集めてくださった軍勢たちと共に戦い、国家を確立していきます。そこには、「時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている」(32)人々、「心を一つにして集まった」(34, 38)人々、「誠実な心で、並び集まった」(38)人々がいました。また、多くの捧げ物もなされましたがそれは強制されたものではなく「イスラエルに喜びがあったから」(40)でした。

 

ここには「ダビデを王にした」という言葉が度々出てきます。確かにダビデは傑出した主の器でしたが、しかし、ダビデが自分自身の力で王になったという以上に、主がお用いになったこれらの人々がダビデを王にしたのです。

 

教会においても、様々な組織においても、家庭においても、群れのリーダーには求められる高い資質や態度があります。リーダーとして召されたならば、主の臨在と助けを求めつつ自分自身が相応しい器になっていけるよう全身全霊を傾けて努めなければなりません。そして、リーダーは単なる調整役ではなく、勇気ある決断をし、明確に方向を指し示していく必要があります。だからこそ、リーダーは主を慕い求める人、学ぶ人、成長する人でなければならないのです

 

また、リーダーの元に置かれているフォロワーは、時を悟り、何をすべきかをよくわきまえ、心を一つにしてリーダーをサポートする必要があります。リーダーが未だ完成されていなくとも、フォロワーがその人物を尊重し、喜んで自発的に支持をしていく時に、主にあるリーダーは真のリーダーの器へと変えられていくのです。