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道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

テトス2章

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クリスチャン生活のスタンダード(2章)

 

パウロは、テトスに対して各性別、各世代の信仰者に対してどのような生き方のスタンダード(基準)を示すべきかを教えます。

 

年長の男性は「自制し、謹厳で、慎み深くし、信仰と愛と忍耐とにおいて健全である」(2節)ことが求められます。年長の婦人たちは「神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者である」(3節)ことが教えられ、若い女性たちの模範となるべきことが教えられています。

 

若い女性たちは、「夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順である」(3-4節)ように教えられています。若者たちは「思慮深くあるよう」(6節)にと教えられています。

 

教会がこれらのことに務め励んでいないなら、いくら偉そうなことを言っていても「神のことばがそしられる」(5節)ことになります。

 

たとえば、こんな教会があったとします。その教会では、ある年配の男性がいつも苦虫を噛み潰したような表情をし、命令口調であれやこれや指図をし、自分の仕切りに従わない人たちに対しては辛辣な言葉を浴びせています。

 

それを陰から見ている年配の女性たちは「◯◯さんて嫌よね〜」「そうよね〜。あんなんだから会社でも家でも干されたんだわ」「アハハハ…」と悪口を言っています。

 

そんな年配女性を模範にして若い婦人たちも悪口大会、テーマは「ウチのダメ夫たち」です。子どもたちが近くで聞いているのにお構いナシです。

 

残念ながら、若い男性たちは御言葉に基いて深く物事を考える思慮深さも知恵も訓練されておらず、このような状況に対してなすすべもありません。いつの間にか教会に寄りつかなくなってしまいました。

 

さて、もし、クリスチャンでない人々がこのような教会を見た時、驚きをもって「神のことばには力がある!」と語るでしょうか。そうではなく、「神様とか聖書とか言っていても、所詮、世の中と変わらないのね。いや、世の中の方がマシ」と思うのではないでしょうか。

 

なぜわざわざこんなことを書いたのかというと、最初は良い意図で始められた教会が、徐々に御言葉の真理から外れ、このような“病状”にまで陥ってしまうという実例を私は少なからず目にしたことがあるからです。パウロは危機感を持っていました。クレテの教会も、放っておくならそのような状態になってしまう…と。

 

だから、テトスに対して、クリスチャン生活のスタンダードをしっかりと浸透させ、定着させなさいとアドバイスしているのです。そして、それをする上で最も大切なことは、指導者であるテトス自身の信仰生活そのものです。

 

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり、教えにおいては純正で、威厳を保ち、非難すべきところのない、健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて、何も悪いことが言えなくなって、恥じ入ることになるでしょう。(2:7-8)

 

2章9-10節では、奴隷が主人に対して従順かつ誠実であるべきことを教えています。これは、労働におけるクリスチャンのスタンダードです。パウロは「奴隷たちよ、手を取り合って蜂起せよ!」とは語らず、当時の制度は制度として容認しながら、その中で積極的に神にしたがって生きることを勧めます。*1

 

それは「彼らがあらゆることで、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるため」(10節)とあります。つまり、クリスチャンと呼ばれる人々の生き方によって「神のことばがそしられる」こともあれば、「飾られる」こともあるということです。

 

神の教えを飾る生き方とは 「なるほど、あなたを見ていると、あなたの信じている聖書はきっと素晴らしいものなんだと思えてくるよ」と言われるような生き方です。それは、なにも私たちが完璧な人物になるといったことを意味しません。欠けや弱さもあるけれど、神に希望を置き、神の前で謙遜に悔い改めながら歩んでいる姿があれば良いのです。私は、「主よ、私がいつもそのような者として歩めるように、どうか導いください」と心から祈る者です。

 

 

クリスチャンを動かす動機

 

私たちがこのようなクリスチャン生活のスタンダードを目指して歩めるのには、動機となるものがあります。

 

というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。(11-14節)

 

神の恵みとは、まさにイエス様ご自身を指しています。このお方が地上に現れてくださり、私たちが目指すべき生き方のスタンダードを示してくださいました。それだけではなく、私たちを罪から贖い出してきよめるために十字架にかかり、さらに、やがて栄光の中で再臨して私たちを迎えてくださいます。

 

この箇所には「義認」「聖化」「栄化」という、クリスチャン生活の中心的な内容が含まれています。私たちが「聖化(キリストに似た者へと変えられる)」のプロセスに励む動機・原動力は、私たちがもう既に「義認(罪赦され、神の前で正しくきよい者と認められた)」され、しかも、必ず「栄化(完全な者へと変えられて永遠に生きる)」されるということにあります。

 

あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。(2:15)

 

若いテトスにとって、十分な権威をもって語ることは大きなチャレンジだったでしょう。しかし、彼自身、義認・聖化・栄化の恵みをいつも味わいながら、この務めに励んだのです。

 

 

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*1:なお、パウロは、エペソ6:9において「主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい(文脈からいって、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えよということ)。おどすことはやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。」とも教えている。