クリスマスが目前に迫っています。今年も喜び祝いましょう。まことの救い、消えない光、揺るがない希望であるお方が、この世界に来てくださったことを記念して…。
私たちが喜び祝う理由は、私たちの主が「祝う神」であるからとも言えるでしょう。このことをいつも思い起こしたいと思います。 祝う神? …そうです。
主イエス様は、たとえ話の中で「失われた者が立ち返ることを喜び祝う神」についてお話しになりました。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。(ルカ15:24)
また、預言者ゼパニヤは、ユダ王国の民に対してこう語りました。
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(ゼパニヤ3:17)
神は、ご自身の民の救いを喜び、彼らの存在を楽しみ、歌われる神です。もし、この神が、私たちのただ中にもおらるなら、私たちが祝わずにいる理由はありません。
O come All Ye Faithful - Don Moen
今、この世界には、普通に考えると「感謝、喜び、祝う」するよりも「不満、悲しみ、がっかり」が相応しいと思えるような状況がたくさんあります。私たち自身の身近なところでもそうです。私たちは、そのような現実から目を背ける“ため”のお祭り騒ぎを拒みます。それは単なる現実逃避です。しかし、逆にそのような厳しい現実に飲み込まれて、しょんぼりとしてしまうことをも拒みます。私たちの目に映っている現実は、一時的で一面的なものに過ぎません。それが全てではないのです。
私たちは、しっかりと目の前の現実を見据えつつも、もっと大きな揺るぎない永遠の現実に思いを向けます。そして、私たちを救ってくださり、その救いを喜び祝わってくださる主を見上げ、主にあって喜ぶことを選びます!
さらにこの主は、私たちに約束された喜びを完成させるため、必ず再びこの世に来られます。主は近いのです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。(ピリピ4:4)
真の喜びというものは、私たちが分かっているようで分かっていない、やっているようでやっていない、持っているようで持っていないものなのかもしれません。だからこそ、パウロは勧めを繰り返しているのでしょう。
意図的、能動的に、喜び祝うことを選んでいきましょう。それを大胆に表現しましょう。目の前にある当たり前と思えるようなこと、それらにも目を留め、それらが与えられていることを感謝し、喜び、それを主にあって祝いましょう。お互いの存在を主にあって感謝し、喜び、祝い合いましょう! その只中に、「祝う神」がおられます!
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