道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

『神を知るということ』(J.I.パッカー著, いのちのことば社)

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以前の翻訳は『神について』というタイトルでした、未だにこのタイトルは良くなかったと思っていますが、しかし、翻訳も含めて内容は素晴らしく何度も目を通しました。今度は『神を知るということ』と題された改訂新訳でじっくり読んでいます。私は基本的に速く読むことが多いのですが、この本は時間をかけています。何度も心を刺され、心を探られ、また励まされています。 

 

神を知るということ

神を知るということ

  • 作者: J・I・パッカー,渡部謙一
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2016/05/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 聖書が語る神ご自身の姿を様々な角度から教えているこの本には、宝のような洞察が散りばめられており、まさに「神ご自身を深く知ること」への渇望を呼び起こしてくれます。

 

「結局のところ、何にもまして大切なことは、私が神を知っているという事実ではなく、むしろ、その下に横たわっている、より大きな事実ーーー<神が私を知っておられる>という事実である。私は神の手のひらに刻まれている。私は決して神の念頭から去ることはない。私がどれほど神を知るとしても、それはことごとく、神が絶えず先んじて私を知ってくださる事実に基づいている。私は神を知っている。それは、まず神が私を知ってくださったからであり、今も続けて私を知っていてくださるからである、神が私を知ってくださるのは、友なるお方としてである。私を愛するお方としてである。そして、一瞬たりとも神の御目が私から離れるとき、あるいは、神の注意が私からそらされるときはない。それゆえ、いつどのような瞬間にも、神のご配慮が揺らぐことはない。」(本文77頁)

 

最近、一人の友人が、大きな試練の中で神の威光(Majesty)を見、味わっていることを話してくれました。彼の話を聞きながら力強い励ましを受けた翌朝、この箇所を読みました。

 

「主は大いなる神であり…大いなる王である。…来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。」(詩篇95:3, 6)神を信頼し、礼拝したいというキリスト者の本能的な思いは、神の偉大さを知ることによって非常に力強く刺激される。
 しかし、神の偉大さを知ることこそ、今日のキリスト者に大きく欠けた部分にほかならない。…私たちは現代人であり、現代人とは、人間を偉大なものと考えはしても、概して神をひどく小さなものと考えるものである。…今日、至る所で強調されているのは、神が<人格的な>お方だという考え方である。だが、その真理を告げる人々の語り口を聞いていると、まるで神が私たちと似たような種類の人格であるかのような印象を受ける。ーーー弱く、未熟で、無力で、いささか感傷的な人格である。しかし、それは聖書の神ではない!…神は私たちを御手の中におさめておられる。だが、私たちは決して神を自分たちの手中におさめてはいない。神は、私たちのように人格的なお方だが、私たちとは違って<偉大>であられる。確かに聖書は、神がご自分の民を人格的に気遣ってくださる現実をも、神が民に対して優しさと、いたわりと、慈愛と、忍耐と、切なる思いやりとを示してくださる事実をも絶えず強調しているが、決して私たちが神の威光を見失うことを許さない。神がその被造物全てに対して無制限の支配権を奮っておられる事実を見失うことを許さない。(本文145-146頁)

 

神は愛であるという言葉はよく知られているが、残念ながらそれは大きく誤解されたり、誤用されたりしているとパッカーは指摘しています。

 

ジェームズ・パッカー - Wikipedia

 

12章の「神の愛」を読みながら、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)という御言葉が胸に迫ってきました。

 

人間が作られる前の神は、人間がいなくとも幸福であられた。人間が罪を犯した後、あっさり人間を滅ぼしたとしても、神は幸福のままであり続けたであろう。だが、実際には、神はご自分の愛を特定の罪人たちに寄せられた。つまり、ご自分の価なしの自発的な選択によって神は、特定のその罪人たち全員を天国に導き入れるまで、完璧で混じりけのない幸福を再び感じたいとはお思いにならないということである。実質的に神は高決意されたのである。これ以後、未来永劫に、わたしの幸福はこの者たちの幸福によって左右されるようにしようと。…だからこそ、ひとりの罪人が悔い改めるとき、御使たちの前では喜びが(神ご自身の喜びが)わき起こるのである(ルカ15:10)。また、だからこそ、最後の日に、神が私たちを傷のない者として聖なる御前に立たせてくださるときには、「大きな喜び」があるのである(ユダ24)。そのような考え方は理解を超えており、ほとんど信じがたいほどである。だが、疑いはない。聖書によれば、それこそ神の愛である。(本文239頁)

 

 残念ながら、中身の濃い深みのある書物は好まれず、ほどなく絶版になってしまうことが多いのです。中身を読むまではどう考えても安いとは思えない本です。でも、もしお読みになっていないなら心からお読みになること、蔵書に加えられることをお勧めします。特に、学生の皆さんに読んで欲しいなーとオジサンは思うのであります。

 

神を知るということ

神を知るということ

  • 作者: J・I・パッカー,渡部謙一
  • 出版社/メーカー: いのちのことば社
  • 発売日: 2016/05/02
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