道奥 MICHINOKU せみなりお

聖書を学び、聖書で考え、聖書に生きる

2列王記3-8章

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エリシャを通して立て続けに奇跡が為されます。

 

今日は「奇跡」というのものをどのように考えるべきかということについて記します。私たちは個別の奇跡について「この出来事はきっとこういう意味だろう。こういう教訓があるに違いない」と考えがちですが、奇跡に行われた「目的」に注目することが大事です。その前に、聖書の奇跡に関する幾つかの立場について見てみましょう。

 

聖書の奇跡を信じないという立場

ある人々は、聖書に記されているいわゆる「奇跡」を書かれている通りには受け取りません。そのようなエピソードは“神話”のようなものだと考えたり、“古代人”の手による“創作物語”だと考えます。

 

確かに、現代を生きている私たちの常識から考えれば無理もありません。海や川の水が分かれたり、重い病が急に治ったり、火の戦車が見えたり、死者が生き返ったりしたという話を簡単に信じろと言われても困惑してしまいます。

 

しかしながら、私たちが信じる神は、真の創造主であり、真に全知全能のお方です。人にはできないことが、おできになるお方です。私たちの小さな常識、優れているけれども大いに限界のある科学などによって、私たちが神の啓示を“裁く”“判断”するという立場に立つなら、結局のところ「復活なんて、常識的にありえない」「イエスの十字架によって罪が赦されるなんて、理解できない」「創造主がいること自体、信じられない」という結論にたどり着いてしまいかねません。

 

聖書の奇跡が今も同じように起こるという立場

さて、もう一方で、気をつけなければならない別の立場もあります。それは、「聖書の時代の奇跡が現代にも起こる」と考える立場です。彼らの多くは、聖書を信頼し、熱心に神を愛そうとする人々です。

 

彼らは、神は変わらないお方であるゆえに、預言者たちや使徒たちが主の力によって行った奇跡を私たちも行うことができるはずだと考えているのです。彼らの中には、預言の賜物を持っているという人物、癒しの賜物を持っているという人物がいます。そして、預言の集会、癒しの集会が盛んに行われます。

 

昨今でも「何百人の死者をよみがえらせた牧師」などの触れ込みで伝道者が来日し、大きなホールを一杯にしています。また、彼らの間では、「夢や幻で神様が〜〜とお示しになった」「主が私に個人的に〜〜と語りかけられた」といった“証し”が盛んに分かち合われます。仮に善意や熱心さから出ているとしても、これらのムーブメントは非常に大きな問題を抱えています。

 

どちらでもない立場

私は今紹介した二つの立場には立ちません。まず、私は聖書に記されている奇跡を書かれている通りに信じます。これは第一に紹介した立場と異なります。そして、聖書に記されている奇跡が“同じように”現代にも起こるという考え方については極めて否定的です。これは第二に紹介した立場と異なります。

 

聖書における奇跡は、モーセの時代、預言者たちの時代、主イエスと使徒たちの三時代に集中的に起こっており、それはまさに神のことばが語られ、書き記された時代です。この時代において、奇跡は「特定の人物を通して、顕著に、繰り返し」行われました。これらの奇跡は、その奇跡を伴って語られている“啓示”を裏付けるために為されているように見受けられます。

 

しかし、今や、私たちの手にしている聖書は完結しています。このことは「聖書正典の閉鎖」と呼ばれます。

 

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22:18-19)

 

…聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。(2テモテ3:15b-17)

 

完結し、完成された聖書から私たちは何も割り引いてはならないし、何も付け加えてはなりません。聖書は、人にキリストについての知恵を与え、救いへと導く上で十分です。聖書は、神に用いられるにふさわしく人を成熟させる上で十分です。

 

「聖書より新鮮で、親密な啓示はないというのが真理だ。神は、私たちが主と共に歩めるように私的な啓示を与える必要がない。」(『混迷の中のキリスト教』ジョン・F・マッカーサーJr.著)

 

聖書のある特定の時代と「同じように奇跡が起こるか」というならば、それについてははっきり「NO」と言わなければならないでしょう。現代において、誰かが「使徒」や「預言者」を自称したり、「奇跡の賜物」を持っていると吹聴するなら、それを信用してはならないと私は考えます。

 

「現代も聖書時代と同じように奇跡が起こるか」という問いは、「現代も同じように啓示が与えられるか」という問いとセットであり、それに対して「YES」と答えることは聖書の権威や十分性を否定し、聖書以外の“新しい啓示”に対して心を許すことに等しいからです。

 

キリスト者は書かれた神のことばという賜物のゆえに、神に感謝しなければならない。そして、自らの信仰と生活のすべてを聖書だけに基づかせることに最新の注意を払わなければならない。そうしないなら、神が求めているように神をあがめ、神を喜ばせることなど不可能である。(『聖書教理がわかる94章』J.I.パッカー著)

 

聖霊は生きて働いている!

誤解しないでいただきたいのですが、全能の主は今も生きて働いておられます聖霊は現代において力強く働き、人々に真理を悟らせ、罪を認めさせ、信仰を得させ、成熟へと導いておられます。また、私たちには計り知れないいわゆる超自然的なことを行うことがお出来になるし、私たちはそのことに期待し、信頼し、病の癒しについても、不可能と思えることについても熱心に祈りたいと思います。

 

そもそも、私たちが奇跡とは思わずに「自然」「普通」と思っていることの一つ一つが、驚くべき神の御業であることも覚えたいと思います。霊の目を開いて辺りを見渡すなら、私たちはどれほど素晴らしい神の御業に取り囲まれているでしょうか!

 

 

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