第二サムエル14章
ダビデの姉ツェルヤの子、つまりダビデの甥であったヨアブ将軍(しかし、おそらくダビデより年上だった)は、優れた戦士であり、よく気のつく賢い人物であったようです。
和解のチャンス
ツェルヤの子ヨアブは、王がアブシャロムに敵意をいだいているのに気づいた。(14:1)
新共同訳聖書では「王の心がアブサロムに向かっていることを悟り」と訳されています。おそらくこの時点でのダビデの気持ちは複雑であったでしょう。憎しみもあったでしょうし、愛おしさも覚えていたでしょう。この章の後半に出て来ますが、彼は非の内どころのない美男子で、神の毛もすごーくフサフサでした(14:25-26)。
ダビデは息子アブシャロムが気になって仕方なかったのです。それに気づいたヨアブは、和解のチャンスを作るために自ら動き始めます。彼は一人の知恵のある女性を呼び寄せ、王の前で“芝居”をしてくれるよう頼むのです。この女性は王に対してこのような作り話をします。
「実は、この私は、やもめで、私の夫はなくなりました。このはしためには、ふたりの息子がありましたが、ふたりが野原でけんかをして、だれもふたりを仲裁する者がいなかったので、ひとりが相手を打ち殺してしまいました。そのうえ、親族全体がこのはしために詰め寄って、『兄弟を打った者を引き渡せ。あれが殺した兄弟のいのちのために、あれを殺し、この家の世継ぎをも根絶やしにしよう』と申します。」(14:5-7)
この話は言うまでもなく、ダビデの息子アムノンとアブシャロムの関係に重ね合わせて作られたストーリーです。ダビデはそれを聞いて、この問題を解決をするために手を打つことを約束しました。しかし、彼女と会話のやりとりをしているうちに、ダビデは「あれ?」と不思議に思うのです。
王は言った。「これは全部、ヨアブの指図によるのであろう。」女は答えて言った。「王さま。あなたのたましいは生きておられます。王さまが言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かにあなたの家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。…あなたの家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。…」(14:19-20)
ダビデはこの女性とヨアブをとがめることをせず、願いを聞き入れました。そして、息子アブシャロムをエルサレムに連れ戻しました。ただし…
中途半端な対応
王は言った。「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ。」それでアブシャロムは家に引きこもり、王の顔を見なかった。…アブシャロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王には一度も会わなかった。(14:24, 28)
アブシャロムは明確に罪をとがめられることもなければ、明確に赦しを与えられることもありませんでした。彼はエルサレムに呼び戻されたものの、自宅謹慎を命じられ、赦されたのかどうか分からない中途半端な状態に置かれました。彼は恐らく、ダビデ王が自分のことを嫌い、疎んじていると感じていたでしょう。
子育てにおいては、はっきりと叱り、その上で、はっきりと赦して受け入れるというプロセスはとても重要です。大人同士の人間関係においても、相手が謝ったのに、いつまでも不機嫌でいたり、相手に冷たい態度をとって密かな復讐をすることは、破壊的な結果をもたらします。アブシャロムはこの後、残念ながらどんどん逸脱した行動をとっていきます*1。
新・思い切ってしつけましょう―愛としつけのバランスはとれていますか
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*1:現代において「子どもを絶対に叩いてはいけない」という考えが親たちを束縛しているのではないだろうか。そして、結局は「叩いていけないと思っているのにひどく叩いてしまう」というケースがあまりにも多く報告されている。
どんな状況で、どんな表情と態度で、どんな強さで、どんな叩き方で、どこを叩いたかということを問題にせず、一律に「絶対に叩いてはいけない」というのは、控えめに言っても「かなりおおざっぱな話」である。もちろん、安易に「叩いても良い!」と発言することは誤解を招きかねないが、しかし、「正しい叩き方がある」と信じるものである。「愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」(箴言22:15)
ここでは、ダラス神学校出身のチップ・イングラム氏による、スパンク(お尻ペン)についてのガイドラインをアレンジして掲載しておく。①事前にはっきりと警告する(〜をしたらスパンクだよ)、②子供に責任を理解させる(“自分”が“警告を敢えて無視したから”スパンクされることを説明して理解させる)、③公衆の面前で恥をかかせない(別室で行う)、④罪に対する悲しみを伝える(怒りや、その子の存在に対する嫌悪・失望ではなく)、⑤手首をすばやく動かして叩く(少しの間、痛みが残るぐらい強さ。叩く箇所は、お尻“のみ”)、⑥罪を心から悔いる思いへと導く(「神様にごめんなさいしよう」と子どもを先に祈らせ、その後、親が祈ってあげるのが良いだろう。)、⑦無条件の愛と赦しを伝える(ハグしてあげるのが良い。あなたのことを大切に思っているから叱るんだよ、と伝える。)
このような対応の方が、いつまでも不機嫌な態度や無視をすることで子どもを“コントロール”しようとすることよりもずっと健全である。また、「叩いちゃいけない」と我慢をしながら、ついには爆発して突発的に顔や腹部などを強打することよりも何百倍も健全である。