クリスチャン生活のスタンダード(2章)
パウロは、テトスに対して各性別、各世代の信仰者に対してどのような生き方のスタンダード(基準)を示すべきかを教えます。
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私たちがもし、忘れるべきでないもの、心に留めるべきものをいつも大切にし続けるなら、それは私たちの心、身体、人生に大きな影響を及ぼします。その影響とは、イキイキとあふれる命であり、満足と自由を伴った平安です。
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このブログを見てくださっている方の中には、牧師や信徒リーダーの方々も多いようです。そんな皆さんのために(私の独断と偏見と思い込みと勘違いに基づいて)「牧会」「教会形成」に関する本のお薦め本(+牧会について学ぶなら一応見ておいた方がいいかもね本)を紹介したいと思います。
えーっと、一番のお薦めは聖書そのものです。エペソ、コロサイ、テモテ、テトスなどの書簡を熟読するのが良いかと…。それを大・大・大前提としながらも本を紹介していきます。これらの本の内容全てに私が賛同しているということでは決してありませんが、読みながら示唆や気づき、参考になる部分があった本を挙げています。他にもあるのですが、英書だったり、入手がほとんど不可能だったりするものは除きました。
ウィリモンは邦訳書も多数ですね。合同メソジスト教会(デューク大学神学部)の実践神学者、説教者。牧師とは何者なのかを真剣に問うた著作で、線を引きまくりながら読みました。
この本は、何度読んだでしょうか。スポルジョンが、牧師を目指してパスターズ・カレッジで学ぶ若者たちに向かって語った講義ですね。
懐かしい。胸を熱くしながら読んだ。
スイスのカトリック学者、キュンクの名著。とっつきにくかったけれど、唸らされるところ多し。
独特の立場ではあるけれど、聖書箇所に基づいてよく整理されている。
これまた誰もが知っている本。英語が読めるなら、易しい英語なので原書の方がいいかも。世俗的方法論を教会に持ち込んでいるという批判もあるけれど、頷けるところも多々あると思う。
一つの教会の歴史としても興味深い。
シンガポールのエドモンド・チャン氏による弟子づくりの本。この本からは多くを教えられた。
ああ、できれば、私は、昔の月日のようであったらよいのに。神が私を守ってくださった日々のようであったらよいのに。あのとき、神のともしびが私の頭を照らし、その光によって私はやみを歩いた。私がまだ壮年であったころ、神は天幕の私に語りかけてくださった。全能者がまだ私とともにおられたとき、私の子どもたちは、私の回りにいた。(29:2-5)
痛みや苦しみの中で過去志向、後ろ向きになってしまうことは、誰にでもあることでしょう。忍耐強く、成熟した信仰者であったヨブも、あまりにも大きな苦難の中では例外でありませんでした。彼は過去自分が得ていた、神の守り、神との交わり、周りにいた愛すべき家族、物質的繁栄、名誉や影響力、為していた善行や正義など、すべてを想い起こし、ますます惨めな思いになっています。
現在を嘆くヨブ彼は過去の栄光と現在の悲惨さを比べます。
しかし今は、私よりも若い者たちが、私をあざ笑う。彼らの父は、私が軽く見て、私の群れの番犬とともにいさせたものだ。(30:1)
過去、ヨブにしもべとして仕えていた者たちの子らである若者たちが彼を馬鹿にしているのです。なんと屈辱的でしょうか。
今、私は心を自分に注ぐ。悩みの日に私は捕らえられた。夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。神は私を泥の中に投げ込み、私はちりや灰のようになった。私はあなたに向かって叫びますが、あなたはお答えになりません。私が立っていても、あなたは私に目を留めてくださいません。あなたは、私にとって、残酷な方に変わられ、御手の力で、私を攻めたてられます。(30:16-21)
神は決して悪を行なわない。全能者は公義を曲げない。(34:12)
全能者について説明や弁明を試みる者は皆、礼拝者としての謙遜な心を持っていなければならない。(ウォーレン・ウェアーズビ)
この注解者は、エリフという若者を「成長しているのではなく、膨張している」と評し、彼の誤りが「神の一側面だけを強調して、他の面を見過ごしていること」であると指摘しています。神は確かに完全で義なるお方ですが、同時に、愛と恵みの神です。偉大なお方であられますが、私たちに近づいてくださるお方なのです。
Be Patient (Job): Waiting On God in Difficult Times (The BE Series Commentary) (English Edition)