パウロは数週間の滞在の中で、クリスチャンとなったテサロニケの人々に福音の基本を教えました。その中には、罪について、イエスの十字架と復活についても含まれていましたし、私たちの復活や再臨などに関するいわゆる「終末論」についての教えも含まれていました。その教えを聞いた人々の中に理解の混乱が起こっていることを聞いたパウロは、彼らの考えを正すためにこれらのことを書き記しました。
眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。(4:13-14)
クリスチャンの復活、携挙(空中再臨とも言う)の希望について教えられていた人々の中に「これから携挙が起こるのだとすると、すでに死んでしまったクリスチャンはそれにあずかれないのでは?」という疑問が生じたのです。パウロは、そのテサロニケ教会の人々に「知らないでいてもらいたくない」と語ります。その内容は、復活の恵みが今生きている者たちにだけではなく、主イエスを信じてすでに眠った(死んだ)人々にも及ぶのだというものです。
クリスチャン暦の浅いテサロニケの人々にとっても、終末に関する教えは重大な意味をもっていました。パウロが私たちに会ったら、私たちに対しても「知らないでいてもらいたくない」と語るはずです。
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(4:15-17)
主イエスが雲の中に私たちをお迎えになる携挙とそれに伴って起こる栄化(完全に主イエスの似姿に変えられる)は、私たちの希望の究極的なよりどころです。だから、パウロはこのように言うのです。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
(4:18)
私たちの究極の慰めは、「大丈夫、気にしないで、きっとうまくいく」といった人間的なメッセージの中にあるのではなく、主が私たちのために死なれ、葬られ、復活され、再び来られ、私たちを永遠にご自身のもとのしてくださるという福音の中にあるのです!
聖書に記された「復活」を目撃する。古代ローマの百人隊長の葛藤と闘いを描く《スペクタクル歴史超大作》!
古代ローマ。イエス・キリストを処刑した百人隊長クラヴィアスのもとに、イエスの遺体が消えたとの報告が届く。エルサレムでの反乱の気運と、高まるメシア復活の噂を鎮めるため、ローマ総督ピラトから調査を命じられた彼は、イエスの弟子たちが遺体を隠したと確信し、遂に隠れ家に踏み込む。呆然と立ち尽くすクラヴィアス。なぜならそこには彼が十字架に張りつけたはずの“あの男”がいたからだった。
(ソニー・ピクチャーズ公式サイトより)
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